ロードスターの開発主査の貴島さんはいつから主査に?

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NAロードスター(ユーノス・ロードスター)の開発主査は、平井さんである事は有名です。
しかし平井さんは、ユーノス・ロードスターをリリース後にAZ-1の開発主査をする事となり、結果的にマツダを退職する要因となっています。
その後のNAロードスターの開発主査として貴島さんが有名ですが、いつから開発主査となったのか聞いてみたところ、
NA8Cシリーズ2から貴島さんが担当になったとの事です。

ちなみにNAロードスターは、平井敏彦氏山本紘氏、吉岡史郎氏、貴島孝雄氏と担当しています。

まず平井敏彦氏。〜1991年。
(写真は三栄書房 ユーノス・ロードスターのすべてより)
現在まで続く「人馬一体」のコンセブトを持つロードスターを作られた方です。

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二代目開発主査は山本紘氏。1991年〜1993年
(写真は交通タイムズ社 ニューカー速報 NEWロードスターより)
平井氏がAZ-1の開発主査となったため、上長が主査を対応した様子です。
NA6CEの後期モデルとNA8Cシリーズ1の開発ですね。

IMG_4506.jpg

三代目開発主査は吉岡史郎氏。(1993年〜1995年)
(写真は交通タイムズ社 ニューカー速報 NEWロードスターより)
NA8Cリリース後に主査に就任。
NA8Cシリーズ1.5まではこの方ですね。

IMG_4507.jpg

四代目開発主査は貴島孝雄氏。(1995年〜)
(写真はモーターマガジン社 マツダロードスター パーフェクトガイドより)
NA8C シリーズ2以降からNCロードスターまで開発主査を担当しました。
ある意味マツダの激動の時代にロードスターを継続させることができた立役者です。

IMG_4510.jpg

質問でNA8Cシリーズ2は16bit CPUのECUになった理由は、
ECUを製造するデンソーが16bit CPUに変更するということで対応したとの事です。
16bit CPU変更は1996年の米国のOBD2義務化もあったと思います。
それを生かしてチューニングしたとも言えます。

こう見るとNAロードスターの多少の迷走は主査の交代が多かった事ではないでしょうか。
ちなみにNA8Cシリーズ1で不評だったファイナル4.1、非線形スロットルは
北米仕様はモデル末期まで継承されましたので失敗作だった訳ではありません。
日本の需要を考慮していなかったとは言えますが。
ちなみに欧州で1994年に1600が復活しています。
これは欧州(特にドイツ)のバイヤーからの要望で税金対策で90PS仕様を作ることになったとの事です。

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このページは、Niiが2025年10月12日 23:00に書いた記事です。

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